男前!内川分団の加賀鳶!
2015年7月19日●
いよいよ加賀鳶の演技が始まります。緊張感で空気が張りつめます。支える団員も命がけ。
加賀鳶:享保3年、八代将軍吉宗が、江戸藩邸を守る大名火消を設置するよう命じたのを受けて、加賀藩では江戸上屋敷の防備のため設置されていた自衛消防隊を、豪華なものに増強しました。 これが加賀鳶の始まりであるとされています。
彼らは勇猛果敢な活動と華麗な装備で知られ、当時の浮世絵や歌舞伎の題材になったこともあり、大名火消しといえば加賀鳶のことを指すようになったのです。 明治に入り江戸藩邸にあった加賀鳶38人が金沢に移り住み、江戸の技と金沢在来の技が融合し今日の姿になったものと考えられます。
「はしご登り」は江戸時代、火消しが火災現場で高い梯子を立て、頂上から火事の状況や風向き、建物の状況を確かめたことが始まりで、さらには高所での作業を行うための訓練、度胸、勇気をつけるためにも行われたと言われています。身軽な仕種と熟練した技をもって、住民の前にその演技を披露するとともに、消防の重要さを訴える役割も担っていました。このはしご登りを最初に行ったのが加賀鳶で、いわゆる日本のはしご登りの元祖です。(金沢市消防団HPより要約)